「ロシア勝利の解釈学的円環」

30.08.2024

哲学には「解釈学的循環(ヘルメネウティック・サークル)」という概念があります。これはシュライアマッハーの思想に由来する、ディルタイ、そしてハイデガーやガダマーによってさらに発展しました。この概念の本質は、認識が全体と部分の両方の知識を前提とするということです。しかし、人間は最初からそのどちらも持ち合わせていません。さらに全体を知らずに部分を知ることは不可能であり、逆に部分がなければ全体も存在し得ません(そもそも、なぜそれが全体であり、何に対して全体とされるのでしょうか)。この明らかな行き詰まりは、次のように解決されます。すべては近似から始まるのです。私たちが部分と全体についておおよその見当をつけ、二つのロールシャッハ・テストのようにそれらを互いに関連づけることから始めます。性急な結論を避けながら、慎重にそれらを照合していき、部分と全体が互いに影響し合い、曖昧さが修正され、より明確な形が浮かび上がるまで、その過程を繰り返します。これが解釈学的円環であり、中心部の周りで循環しながら、周縁と中心部の両方の構造を記述することなのです。つまり、全体と部分の両方が近似から明瞭へと移行する、円環的な関連付けの過程で理解されるのです。

ハイデガーはこの方法を繰り返し用いて、同じ問いを何度も投げかけ、常に逃げる中心とぼんやりとした周縁を巡り続けました。しかし、この方法を形式化しようとする際には注意が必要です。何が全体であり、何が部分であるかを把握するという微妙な哲学的操作を見逃しがちだからです。解釈学はアリストテレスに基づいて構築されており、現象学との間に深い関連があるのです。(ディルタイがフッサールの思想に触れて発見した)。ひとたびアリストテレス的な存在論の枠外で、たとえば原子論や唯物論によって全体と部分を解釈すると、すべては失われてしまいます。したがって解釈学の実践には、特別な哲学的文化が必要なのです。

この解釈学的円環の原理を、ウクライナでの西側との戦争における「勝利」に適用してみましょう。ウクライナでの勝利は、目標であり手段でもあります。ロシアの歴史におけるこの勝利の特別な意義は、現在のロシア連邦を手段として、方法として捉えることを求めます。つまり、現代のロシア連邦は「勝利」の一部であり、その条件となっているのです。「勝利」とは、未来が始まる場所のことです。過去と現在は未来への前段階に過ぎません。再びアリストテレスを引用すると、「主要な原因とは、目的である」ということになります。ウクライナでの勝利は、ロシアの政治史のエンテレケイア(目標達成の実現)であり、他のすべてはそのためにあったのです。ウラジーミル・クラスノエ・ソルニーシコ(赤き太陽)から勝利へ、キエフからキエフへと続く流れです。

「勝利」は、全体としてのロシア連邦以上の存在であり、なぜなら「勝利」は全体としてのロシアの本質を象徴しているからです。ロシア連邦は「勝利」の一部でしかなく、「勝利」こそが全体なのです。これこそが運命であり、フィナーレであり、勝利なのです。

勝利を達成するためにはロシア連邦を、それに適応させる必要があります。これは現在進行中の事態です。しかし、この適応が正しく行われている場合もあれば、そうでない場合もあります。「勝利」が目標であり全体であると認識し、ロシア連邦がその手段であり部分であり、ロシアの政治史の一つの瞬間であると捉えるとき、それは正しいと言えます。逆にロシア連邦を全体としてとらえ、現状を絶対視し、ロシアの歴史における真の全体を無視してしまうのは誤りです。政治史の一瞬が誇張されすぎ、ロシアという存在の全体を見失ってしまうのです。私たちが誤った認識から正しい認識へと進むにつれて、「勝利」は私たちに近づいてきます。私たちが「勝利」を引き寄せているのです。これが戦争における解釈学です。

正しいということは、勝利のために国家を再編成することであり、国家が部分であることをやめて全てとなる時に、逆に国家が全てであること、つまりそれ自体が目的であることをやめ、勝利への手段となり、勝利への道となります。そうして初めて、新しい「勝利の国家」が築かれます。そしてその時こそ、私たちは勝利を手にするのです。

しかしその後には、さらに新たな解釈学的転回が訪れます。勝利が新しいロシア国家の基盤となるのです。勝利を成し遂げた後に現れるのは、新しいロシアです。今や勝利そのものが未来の一部となり、全体の一瞬となるのです。この新しい国家はさらに統合された現象となり、新たな核、そして絶対的な中心となるでしょう。

言い換えると勝利は過去と未来の架け橋となるのです。ここで言う過去には、急速に衰退しつつある現在も含まれます。そして勝利が現実のものとなればなるほど、ロシアの時間そのものが真にロシア的なものになるのです。

ロシア連邦は完全なロシアではありません。それは時間的にも空間的にも、ロシアの一部分に過ぎません。ウクライナでの勝利はロシアを完全な意味でのロシアにするために、その一部分を全体へと変えるものなのです。この問題は、領土や人口、戦略や地政学だけにとどまりません。それは、ロシアの全歴史における解釈学的円環に関わるものです。

これこそが、ロシアの運命に関わる形而上学的問題の解決策なのです。

翻訳:林田一博