「新・世界大戦の第二戦線が勃発した。」

02.10.2024

中東では現在激しい戦争が展開されています。イスラエルによる家電製品を用いたテロ攻撃に続き、南レバノンへの大規模なロケット攻撃と絨毯爆撃が行われました。イスラエルはガザでの虐殺の後、レバノンの住民に対しても虐殺を行い、被害者から加害者へと転じることを決意したようです。これは必然的に、シリア、イラク、イエメンのザイド派、そして何よりもイランといったシーア派の国や組織、さらには次の段階としてスンニ派諸国も戦争に巻き込むことを意味しています。イスラエルは明らかに戦争を望んでおりそれは大規模で、無慈悲で、残忍で、まさに聖書的な戦争です。この衝突が局地的なものにとどまる余地は全くなく、エスカレートを避けられずにイスラエルが保有している核兵器、あるいはイランが保有する可能性のある核兵器の使用も否定できない状況と言えます。もちろん、ここで言及されているのは戦術核兵器や『汚い爆弾』のことであり、これらは人類全体にとって致命的なものではないかもしれませんが、この地域の運命に対しては極めて壊滅的な影響を与えるでしょう。

レバノン戦争にはいくつかの背景がありますが、ここでは2つのポイントに焦点を当ててみましょう。

まず第一に、イスラエルの目標と終末論的な文脈についてです。イスラエル国家が追求する目標を理解することが重要です。もちろん、ネタニヤフ首相の極端な過激主義は、ハマスによるイスラエルへの攻撃と人質の捕獲という心理的なトラウマの結果と考えることもできます。しかし、イスラエルはテロに対してテロで応じ、小規模なテロに対して全住民を対象とした大規模なテロを行いました。ハマスの行為を正当化することはできませんが、その後、イスラエルによる大量虐殺が始まりました。ハマスのテロ行為を非難する者は多い一方で、ガザの住民に対するイスラエルの大量虐殺を非難したのは、集団としての西側諸国とその衛星国以外の全てです。これは二重基準であり、レバノンにおいても同様のことが繰り返されるでしょう。西側諸国は、ゼレンスキーのナチス政権を支援したのと同様に、イスラエルを擁護しています。この立場が変わることを期待する理由はありません(特にトランプは、ゼレンスキーに対しては明確な嫌悪感を示しているものの、イスラエルの熱心な支持者です)。

それでは、ネタニヤフ首相が実際に何を達成しようとしているのかを考えてみましょう。心理的ストレスだけでは、エスカレートする戦争の真の目的は説明できません。実際、ガザ戦争前のイスラエルの状況は概ね安定していました。最大の脅威は人口問題であり、イスラエル社会はアラブ世界の中で小さな民族宗教的な島に過ぎず、正統派ユダヤ教徒(ハレディム)のみならず世俗的な家庭においても出生率は高いものの、これは依然として少数派に留まります。パレスチナ自治区とイスラエル本国のパレスチナ人に加えて、パレスチナ人と民族的・宗教的に近い隣国のアラブ諸国の人口を考えれば、その差は埋められないほどです。このような状況下では、イスラエルの地域的な影響力を強化することも、ましてやパレスチナの土地をイスラエルの入植者によって植民地化することも不可能でした。現状を維持していれば、イスラエルはユダヤ人の国家として、時間の経過とともに人口問題により消滅の運命にあったのです。

ましてや、右翼シオニズムが提唱する「大イスラエル構想」の実現など、全く考えられないことでした。この領域をアラブ人が取り囲む中で、入植して開発することは不可能だったのです。ガザにおいて、私たちはすでにイスラエルの真の目的を目の当たりにしました。それは、パレスチナ人の物理的な大量虐殺と、生き残った人々のイスラエル国外への強制移住という形です。いかに恐ろしいことであっても、イスラエルにとってそれは論理的な選択でした。イスラエルは、人口問題を急激に変えることができないのであれば、終末論的な目標の実現を妨げる人々の存在そのものを排除しようとしているのです。しかし、決定的な行動の後に何か特別な出来事が起こるという期待がなければ、これは無謀であり非現実的なことです。その「特別な出来事」とは「黒い白鳥」ではなく、理解可能な「モシアの到来」です。ユダヤ教の信仰によれば、モシアの到来前(あるいは一部の説によれば、到来後に)ユダヤ人は分散していた約束の地に戻り、エルサレムを首都と宣言し、イスラム教で二番目に重要な聖地であるアル・アクサ・モスクを取り壊し、その場所に第三神殿を建設しなければならないのです。その後、モシアが到来し、全世界の国々が彼を崇拝し、その権力は絶対的なものとなります。これが世界ユダヤ帝国の樹立の瞬間であり、選ばれしユダヤ人たちは鉄の杖で諸国民を支配するのです。

ネタニヤフ首相の側近である宗教シオニストたち—イタマール・ベン・グヴィール、ベザレル・スモトリッチ、そして彼らの精神的指導者であるラヴィ・クック、メイア・カハネ、現代のラビであるドヴ・リオール—は、このような終末論的なビジョンを公然と主張しています。この文脈において、パレスチナ人の虐殺は、来るべき出来事の根本的な性質を前提とする限り、些細な副次的効果に過ぎません。ネタニヤフ首相はこの派閥を頼りにしています。大イスラエルの建設とそれに伴う終末論的な戦争は、モシアの到来という条件のもとでこそ意味を持つのです。そして、ハマスがテロ攻撃を「アル・アクサの流れ」と名付けたことも偶然ではありません。また、アル・アクサ・モスクの破壊と、聖地でダジャール(反キリスト)の軍勢と最終戦争が始まるというシナリオが、シーア派の終末論的ハディースの中で共通して語られていることにも注目すべきです。

言い換えれば、中東では本物のハルマゲドンが勃発しつつあります。ネタニヤフ首相とその側近はこのように理解していますが、宗教的なシーア派の人々も極は異なれど同様の理解を持っています。もちろん、シェケル(イスラエル通貨)と個人的な快適さだけを信じる世俗的なイスラエル人たちは、自国の政府に反対するデモに駆けつけています。また、世俗的なシーア派の人々—特にビジネスマンや若者—は、終末論的なハディースなどに無関心です。しかし、現在の歴史は、彼らではなく、終末とそれに関連する出来事についての意識を高めた人々によって動かされているのです。

中東戦争のもう一つの説明は、地政学的なものです。現在、世界は大きな選択の時にあります。西側の単独覇権としての一極世界は終わりを迎えたくないと必死に抵抗していますが、それに対抗して多極世界が新たな力をもって立ち上がり、それぞれの文明が完全な主権を主張し、西側諸国からの独立を求めています。この対立は必然的に覇権との戦いにつながります。この戦争の最前線はウクライナです。そこで、集団としての西側によって設立され、武装され、支援されているキエフのナチス政権が、多極世界の最も重要な極の一つであり、反覇権主義の旗手である正教ユーラシア文明としての主権国家ロシアと戦争を行っています。西側諸国は代理を通じて戦争を行っており、今やロシアとの直接対決に向けて準備を進めているのです。

この文脈において、中東は一極体制の世界と多極体制の世界が争う同じ戦争の新たな舞台となっています。ネタニヤフや終末論的なシオニストにとって、世界の中心にあるのはイスラエルと、モシヤハ(メシア)と不可分の運命を共有するユダヤ民族ですが、西側のグローバリストにとっては、イスラエルそのものが自らの世界覇権を維持するための手段に過ぎません。イスラム世界はリベラルな価値観を拒絶する敵対的な文明と見なされており、西側諸国は徐々にイスラム世界との戦争に巻き込まれつつあります。そしてイスラム文明の中でもシーア派がそのイデオロギー的先鋒を担っているため、西側諸国の圧力はまず彼らに向けられます。西側諸国はイスラエルを通じて、多極化する世界のもう一つの極であるイスラムを攻撃しようとしているのです。この目的のために、ワシントンはスンニ派諸国、特にUAEとの同盟関係を急いで強化しています。ワシントンがモシヤハの到来を信じているかは不明ですが(とはいえ、その可能性も否定できませんが)、過激なシオニズムや大イスラエル計画を利用してイスラム文明に対する戦線を開くことは、グローバリストの明確な目標です。

次に来るのは台湾と、やはり多極化する世界のもう一つの極である中国との対立です。ここでも、西側諸国は台湾、日本、韓国といった地域の代理勢力に頼り、インドをこの連合に引き込もうとするでしょう。インドは多極化世界の一つの極であり、そのために西側はインドの反西側的な脱植民地化とさらなる主権強化の動きを抑制しようとしています。これを目的に、西側は最近、シェイハ・ハシナ率いる親インドのバングラデシュ政権に対するカラー革命を助長しました。アフリカやラテンアメリカ、そしてイスラム世界のさまざまな地域でも、同じ戦争の他の戦線が準備されていることは明らかです。これらの地域では、未来の世界秩序がどのように形成されるかが決定されるでしょう。西側がその覇権を維持するのか、それとも多極世界が現実のものとなり、西側が発言権を持ちながらも覇権やリーダーシップを失い、他のいくつかの文明の一つとして位置づけられるのかという問題です。

現在、我々はまだその第二段階にあり、中東で大規模な戦争が始まる瀬戸際に立っています。この地政学的な世界再編の第二戦線にどのように対応すべきかを論じる前に、この紛争に関わるグローバルな勢力の目標を明確に理解する必要があります。無駄な幻想を抱かず、主要な勢力の合理的および神秘的・宗教的な動機を見極めなければなりません。私たちには、冷静かつ抑制的に、私たち自身と全人類が置かれているこの極めて複雑な状況のあらゆる根本的な要素を考慮する地政学的リアリズムが必要です。感情を排し、これまでソ連や自由主義政権時代のロシアでは考慮されてこなかった次元まで含めて、冷徹に現状を評価する必要があります。かつては、すべてがイデオロギー、経済、エネルギー、資源争奪戦の文脈で説明されていました。これらは現在も存在していますが、それが主軸ではありません。むしろ、終末論的、文明論的、惑星規模の地政学的観点がはるかに重要です。我々はあまりにも長い間物質的な事柄に囚われて、思想の世界を軽視してきました。

世界を動かすのはまさに思想であると言えます。

翻訳:林田一博