「ヘーゲルと第四政治理論」
"著者はヘーゲルの哲学を「第四の政治理論」と結びつけて考察し、「マルクス主義」「自由主義」「ナショナリズム」においてヘーゲルの思想が、どのように解釈されているかについて分析しています。"
「マルクスの左派ヘーゲル主義」
「第四政治理論」において、ヘーゲルの哲学は政治哲学における基本的な教義や学派、人物の中で重要な位置を占めており、特にヘーゲルの体系はこの理論が克服しようとしている三つの政治理論であるマルクス主義、自由主義、ナショナリズムの文脈で広く解釈されています。
マルクス主義の文脈ではヘーゲルの思想は最も詳細に発展しましたが、同時に大きく歪曲されています。マルクス主義とはヘーゲル解釈に於ける一形態の「左翼的ヘーゲル主義」と言え、マルクスはヘーゲルの基本的なアプローチや方法を取り入れる事により自身の政治哲学を構築しました。キリスト教徒であるヘーゲルは、隠されている未知の(自己にとって未確立の)イデア、すなわち「神」に重点を置いています。ヘーゲルの全体理論では、この原初的イデアが全ての事象を説明する基礎となっています。
無神論者で唯物論者であるマルクスは、ヘーゲルのこの「観念論的」要素を排除し、自然を基本原理として採用しました。しかしヘーゲルの理論では、自然はイデアの否定であり対立要素です。自然の存在論的内容とは「主体的精神の否定」つまり、撤退ににあります。その撤退とは完全な消滅ではなく精神は自然の中で休んでおり、「成り行き」(das Werden)が説明されています。ヘーゲルは自然における精神の働きについて、機械的レベルから化学的、生物的レベルへの移行を説明しており、生命とは自然における精神の現れであり、自己としての撤退だが他者としての存在であるとしています。そして「歴史的存在としての重要な瞬間」―市民社会から新たな国家形態(立憲君主制など)の樹立まで―を精神の覚醒として解釈しています。
マルクスの思想においてすべては自然から始まりますが、それは、彼がスピノザのように自然が意識よりも優位である事を認めざるを得ません。ダーウィンの進化論がマルクスに対して役立ち、超越的な始まりを主張することなく自然から歴史への移行の論理をヘーゲルから借りる事が出来ましたが、このヘーゲル哲学の基本モデルの歪曲は、彼の体系の始まりだけでなくその終わりにまでも影響が及ぶのです。ヘーゲルにとっての世界史とは眠っていた精神の目覚めであり、この目覚めは彼が「道徳(Sittlichkeit)」と呼ぶ領域に至るまで成長します。ここでヘーゲルは「家族」「市民社会」「国家」という弁証法的な三項構造を展開し、国家の世界精神が絶対的な形態へ展開するビジョンを見せ、国家は「世界における神の進行」であると主張しています。
唯物論者であるマルクスにとって、国家がそのような存在論や目的論的地位を持つことはあり得ません。そのため彼は市民社会に留まり、ヘーゲルが「古い国家」と呼ぶものを「国家」と理解し、ヘーゲルが予想していた「新しい国家」つまり立憲君主制国家の樹立に対抗しています。ヘーゲルの市民社会とは、道徳領域への入口としての家族の否定です。立憲君主制国家の樹立とは否定の否定、すなわち統合を意味します。ヘーゲルによれば、市民社会が自己超越し国家を樹立する準備が整ったとき「市民社会」は「民衆(Volk)」へと変化します。
「完全な」国家を知らないマルクスは市民社会のレベルにとどまり、ヘーゲルには存在しない階級概念を導入した「階級闘争」を前面に出します。マルクスは市民社会(=資本主義)が世界規模に広がるグローバリゼーションの過程で古い国家は廃止されると推測しました。資本主義が地球規模の現象となったときに蓄積された階級対立がシステム危機と世界革命を引き起こすとマルクスは考えたのです。プロレタリアートが権力を掌握し、市民社会の構造は階級的観点から転覆します。その時権力は資本(ブルジョアジー)の手から労働者の手に移り、その後無階級社会が構築され国家は国家としての存在をなくし民族も存在しなくなります。マルクスによる「歴史の終わり」とは、「国際的共産主義社会」を言うのです。
この左翼ヘーゲル主義の図式には多くのニュアンスと流れがありますが、全体として第二政治理論の文脈におけるヘーゲルの理論はこのように歪曲化し縮小され、ヘーゲル自身の思想と比較して歪められた形で表現されています。
「スターリンとヘーゲル」
歴史的実践に於ける左翼ヘーゲル主義の屈折は別の議論であり、ここで重要な事はソ連と共産中国の歴史的経験の考察です。スターリン主義と毛沢東思想は、形式上マルクス主義とプロレタリアートのイデオロギーに基づいているものの、実際にはヘーゲル主義により近い政治体制を形成していました。スターリン時代のソビエトロシアと毛沢東時代の共産中国は、資本主義の全世界的勝利と市民社会の普及を待たずに国家建設に焦点を当てたポスト市民社会の建設を始めました。階級理論は、元来農耕民だった人々の迅速な工業化と都市化を促進するために利用されただけであり、結果的にソビエトロシアと共産中国は、古典的マルクス主義よりも第三政治理論に近いヘーゲルの道を歩んだのです。
「ヘーゲルとリベラリズム(市民社会)」
第一政治理論は二つの異なるアプローチをヘーゲルに対して提示しています。ヘーゲルの理論では「市民社会」すなわち自由民主主義や資本主義を克服する必要性を説いているために、多くのリベラル思想家は彼を受け入れがたい無関係な著者として完全に排除することを主張しています。この見方を代表するのがカール・ポパーであり、彼は『開かれた社会とその敵』[1]という著作でこの考えを詳細に展開しています。ポパーの主張ではヘーゲルが「開かれた社会の敵」であり啓蒙の克服を呼びかける人物として描かれています。リベラルの見解では「市民社会」は歴史的プロセスの頂点に位置づけられています。国家は単なる一時的な現象に過ぎず、ヘーゲル自身はこのような国家の解釈をNotstaat、「必要に応じた国家」あるいは「外的国家(aüssern Staat)」と呼んでいます。そこには意味も存在論もなく野蛮や中世の暗黒と市民社会の間の過渡的な状態に過ぎません。社会がより啓蒙されるにつれて、このような国家の必要性はなくなるとされています。これが国際関係におけるリベラリズムの主要なテーゼです。ポパーと彼に続く人々(ポジティビストのB.ラッセルも含む)は、ヘーゲルをあらゆる解釈で排除し、彼の哲学を左右両派の解釈者に委ねています。
リベラルによるヘーゲルへの第二のアプローチは、彼の体系、特に彼の目的論をリベラルな視点で解釈しようとする試みです。これはアレクサンドル・コジェフによって最も明確に示されています。コジェフはマルクス主義者によるヘーゲルへの関心を受け入れつつ、ヘーゲルの理論をリベラルに解釈しました。コジェフによると歴史の終わりは市民社会であり、国家ではありません(彼は国家を中間的な状態と見なしています)が、コジェフはマルクスの階級的アプローチを拒否しした上で資本主義文明の勝利が歴史的プロセスの目標であると結論付けました。この概念はフランシス・フクヤマによって採用され、彼はソ連の崩壊と「一極化の瞬間」の始まりをこの視点から解釈しました。実際には、この場合のヘーゲルの弁証法がグローバリズムに利用されました。明らかに、第一政治理論の文脈におけるヘーゲルのこのような解釈は、マルクスの場合と同様に(それ以上でないにしても)、ヘーゲル自身の体系に対して暴力によってのみ可能であり、主観的精神というヘーゲルの主要なテーゼの否定に基づく無神論的解釈です。興味深いことに、このようなリベラルなヘーゲル主義(一部のトロツキストやアメリカの新保守主義者に特徴的)は、ヘーゲル理論左翼的解釈と密接に関連した元共産主義者たちによって定式化された事を物語っています。
これとは別にベネデット・クローチェのようなリベラルなヘーゲル派が存在し、国家に関する教義を否定しました。彼らはヘーゲルの解釈を純粋に美学的なバージョンとして捉える事により、ヘーゲルの哲学を当時のロシアの専制政治に対抗する立憲主義の正当化として理解したリベラルなヘーゲル派として存在しました。 その他19世紀のロシアには-K.D.カヴェリン-B.N.チチェリン-A.D.グラドフスキーなどがいましたが、彼らは国家の本質には関心を示さず、その存在論には注目しませんでした。
「右翼ヘーゲル主義」
第三政治理論の文脈におけるヘーゲルの解釈は、原典により近いものであると言えます。具体的にはイタリア・ファシズムの政治理論の基礎としてヘーゲル主義が採用され、ムッソリーニ政権の主要なイデオローグであるジョヴァンニ・ジェンティーレはヘーゲル派でした。ファシストの理論では、国家の教義が独自の存在論を獲得し、政治的国民のために市民社会を克服する必要が有るとされ、ローマの象徴であるリクトル・ファシズムは、さまざまな階層の連帯と統一を象徴し、新しい国家の構築を示唆していました。
しかし、ファシズムの時代(ヴェンテンニオ)において資本主義は克服されず、ファシズムはジャコビン主義者のマッツィーニや自由主義君主主義者-カミッロ・カヴール-は、リソルジメントの伝統を継承し、イタリアにおける分裂した政治的構造基盤を統一された国家として建設することが目的でした。
ファシズムとジェンティーレの理論においてこの傾向が頂点に達し、ヘーゲルの精神に則って市民社会を克服し、企業国家を創設しようとしました。
しかし、ヘーゲルの主要な考え方は、自己を超越した市民社会が、立憲君主制を意識的に確立することであり、基本的な要素である君主制は、一人の君主が自由主義的な三権分立の代わりに階層的な国家の頂点に位置づけられています。キケロの精神を受け継いだヘーゲルは、実際の国家にはアリストテレスによって特定された三つの政治的権力形態が、存在するべきだと考えました。
1-君主制(聖霊が人格化された者の力)
2-アリストクラシー(政府および行政府と相関関係にある)
3-ポリティア(議会に代表される)
ヘーゲルは憲法を市民が意識的に、自由かつ慎重に自らの上に君主制を樹立しようとする"歴史的意志の表現"として理解しており、君主制は単に維持されるだけではなく"具体的に確立されるべき"であるとしていました。
イタリアでは、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の役割は形式的に維持されていましたが、それには実質的な内容が含まれていません。実際の権力はベニート・ムッソリーニが握っていましたが、その役割は教義的にも憲法的にも明確に定義されていませんでした。
同時にファシスト・イタリアは、経済資本主義の構造と市民社会に内在する個人主義的な人間観をかなりの程度保持し、アメリカの占領後にイタリア人が再びリベラルなパラダイムに容易に戻ることを可能にしました。イタリア人はヘーゲル的な意味での「民衆」にはならず、ブルジョア的関係が維持され、1945年以降再び支配的になりました。
1920~30年代のドイツでは、ヘーゲルの教えを第三政治理論の精神で解釈するヘーゲル派が形成されました。ヘーゲルによれば、人民とは道徳の分野における精神の自己認識の瞬間であり、そこでは生物学的な決定要因が完全に取り除かれていました。ドイツのヘーゲル派はこのことを理解していましたが、自らの哲学を曲げてナチス指導部の要求に合わせことを余儀なくされました。
同時に、ワイマールによって廃止されたドイツの君主制は、ナチスが政権を握った後、ヒトラーによって復活することはなく、ヒトラーの独裁的な権力と「指導者」としてのカリスマ的地位は、特にカール・シュミットに代表されるドイツの法学者たちによる重要な法的・憲法的モデルの発展にもかかわらず、完全な法的・憲法的な発展を遂げる事は無かったのです。
これらの事例は、第三政治理論の文脈においても、ヘーゲルの体系と彼の国家と人民に対する理解が根本的に歪められたことを示しており、この分析は以下2つの重要な結論を導き出します。
1-ヘーゲル主義は、西洋近代に於ける3つの政治理論全てに大きな影響を及ぼしたが、それは20世紀に最も顕著だった。
2-3つとも根本的に歪んでおり、時には認証できない程であった。
ヘーゲルの読み解きを、第4政治理論の文脈に於いて、いかなる外的イデオロギー的要求にも適合させ無い事によって、ヘーゲルの理論を"ヘーゲル自身に素直に従うこと"から始めなければなりません。国家の精神的存在論に適切な価値を与えない自由主義的および共産主義的なヘーゲルの解釈は、純粋な個人主義(現代のグローバリストによって家族が完全に破壊されるようなその急進的なバージョン)または実際には自由主義と同じ結果に導く階級的バージョン(文化的マルクス主義、超国際主義)にのみ焦点を当てているため、排除するべきです。スターリン主義や毛沢東主義のような、国家がより重要な役割を果たす体系は、古典的左翼によって排除されました。
右翼のヘーゲル主義は歴史的にヘーゲルに近いものの、切り捨てられ、歪められ、論理的な結論に至っていません。立憲君主制に昇華しないブルジョアナショナリズム、そして国家の道徳的本質を一掃する生物学的人種差別主義(ヘーゲルにおいてはこれが根本的な点である)が登場する場所では、ヘーゲル体系からの逸脱はより顕著です。
これにより、西洋近代の3つの古典的政治理論すべてを拒絶することで、イデオロギー的解釈の向こう側にある、真のヘーゲルへのアクセスが可能になります。第4の政治理論はヘーゲルの純粋な読解に基づき、彼の解釈のすべての歪められたモデルを容易に排除することができます。
同時に、第4政治理論の主体は、ハイデガーのダーゼイン(Dasein)、またはその実存的表現における人民(Volk)であると強調されてきました。人民は、国家としての民族や原子的個人の集合体としてではなく、精神の自己認識が展開する瞬間として理解されるべきです。ここでハイデガーのヘーゲルの読解の印象的で詳細な構造が役立ちます。特にハイデガーが1934~1935年に行ったヘーゲルの「法の哲学」に関する講義とセミナー[6]の資料では、ハイデガーはヘーゲルの国家と法に関する教義を解釈し、原典に可能な限り忠実であることに努め、ヘーゲルを西欧哲学思想の頂点として認識した上でプラトン、アリストテレスが始めた長い道のりを完成させるものとしています。
このアプローチは、ヘーゲルの純粋な理解に基づいて、彼の解釈のすべての歪曲されたモデルを排除することができるのです。
ヘーゲルによれば、国家は、民衆、すなわちダーゼイン(Dasein)として現れる存在(Seyn)であり、市民社会の克服(除去)の瞬間を表します。市民社会において、個人は社会的相互作用に没頭しながらも、発達した合理的な自己認識に基づいて行動し、存在することを自覚します。この自己認識によって、個人は自らの個性を自由としてではなく、純粋な抽象として、すなわち片面性と限界として認識するに至ります。そして、個人は市民的アイデンティティを放棄し、ダーゼイン、すなわち民衆への志向を意識的に決定するのです。この精神的な動きの中で、民衆は立憲君主制を創設する(構成する)ことになります。この君主制において、基礎的な存在論的理解と表現、存在(Seyn)の作用が現れます。真に存在するだーゼインだけが、真の(ヘーゲル的な)国家を創造することができるのです。このように、ヘーゲルの形而上学的な精神の国家は、ハイデガーのダーゼインとしての民衆、すなわち実存的基盤においてその存在論的基礎を得ます。こうして、第四政治理論への道を開く主要な著者の一人とされるハイデガーを通じて、私たちは、三つの慣習的イデオロギーの文脈に留まる限り排除されるヘーゲルの解釈に近づくことができるのです。
この場合、ヘーゲル自身が強調する、国家だけが真の自由を有し、したがって国家に奉仕することは自由からの逸脱ではなく、自由への道であるという彼のシステム全体の根幹をなす主張が明らかになります。自由からの逸脱は個人主義から生じるものであり、個人主義は自由の模造品であり、自由への道を弁証法的に阻害するものです。
ハイデガーは、『法の哲学』[7]において、社会のさまざまな瞬間の意味の極を説明するさまざまな瞬間について考え、重要な階層構造に到達しています。
・抽象的な法の主体は人(ペルソナ)である。
・カントのヘーゲル的解釈では、道徳の主体は抽象的な法の硬直した構造や役割からの自由である。
・家族の主体-とは、家族の一員。すなわち家族の男性(経済学における家計の責任者・世帯主)を指す。
・市民社会の主体-つまりブルジョワ、市民。
国家と民との関係では、主体は―初めて―人間(Mensch)になります。そして人間の本質―その根源が自由(=意志)である―ただの連鎖の一環としての人間が、人間へと至る道筋の一歩としてのみ存在してきました。しかし、これまでになく完全に明らかにされ、国家と民の中でのみ、完全に人間であるのです。それまでは自然界ほどではないものの、精神がまだ眠っていましたが、民が現れ特に立憲君主制の設立の行為においては人間というものはまだ存在しません。そして、ハイデガーにおいてここにダーゼイン(Dasein)が位置付けられています。
このように、ヘーゲルの全体系、特に彼の『法の哲学』は、『第四の政治理論』と非常によく一致します。
ただし、ヘーゲルとハイデガーの両偉人がドイツの歴史、ドイツ民族、ドイツ国家の運命と存在論と深く結びついている点は特記すべきです。これが彼らの世界史観や西洋および非西洋民族のアイデンティティに対する見解を決定づけています。ドイツの歴史は西ヨーロッパのキリスト教全般、特にカトリック教会によって歴史的に克服されたと見なされているプロテスタンティズムと密接に結びついています。正教についてはほとんど知られておらず、真剣に考慮されていませんでした。ヘーゲルとハイデガーが書いたことは、ドイツの民族、西ヨーロッパの歴史に直接関係しています。この民族中心主義は単に考慮すべきものです。この視点から彼らは、より一般的な原則に向かって行きますが、ゲルマン的、ギリシャ的、ラテン的、より広範な西洋的普遍主義と、一般的な普遍主義との間の差異は、しばしば見逃されがちです。外から見ると、伝統主義者(特にR. ゲノン[8])によって完全に再解釈された非西洋文明、特にロシアの歴史の視点から見ると、部分的に平行、部分的に直交し、または逆行する方向で進んでいることがわかります。これらの偉大な思想家のドイツ中心主義は、彼らが考えていたよりも相対的です。しかし、ロシアのスラヴ愛好家、ロシアの宗教哲学者、ロシア銀器時代の偉大な知性たちは、ロシア、ロシア民族、ロシア国家という異なる文明的領域にヘーゲル体系そのものを適用することを提案し、ヘーゲルに敬意を表しています。ハイデガーとの関連で私たち自身も同様のことを行いました[9]。そしてまた、異なるダーゼイン(Dasein)のために調整を加える必要がありました。このように、この民族中心主義的な立場を相対化することによって(これは、2度の試みの後、市民社会のニヒリズムによって崩壊し、自由と主権を完全に失ったドイツ国民とドイツ国家の歴史的運命によって確認されます)、第四の政治理論と多極世界の理論の文脈において、より充実した政治分析のための拡張モデルを得ることができます。
翻訳:林田一博-----注釈*
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翻訳:林田一博