「グローバリズム対多極化」

14.09.2024

ニコラス・ルーニー:では、多極化はあなたにとって、ロシアが生き残るための地政学的な戦略であり、西側の国際システムに対する支配を弱めるためのものにすぎないということですか?

アレクサンドル・ドゥーギン:多極化とは、特殊な文明に根ざした独立した合理性に基づくいくつかの決定点を認識するものです。これは、ある意味ではハンチントンの考え方と似ていますが、「文明の衝突」とは必ずしも言えません。文明の衝突という概念は誤解されています。あれは衝突を推奨するものではなく、ハンチントンが強調しようとしたのは基本的なレベルでの違いであり、関心領域の違いではありません。

文明の衝突は、リアリズムの伝統に基づいて起こり得ます。それは主権が存在し、自由があり、国際関係が混沌としている場合に発生します。これらの概念はすべて、国際関係論におけるリアリズムの理論に基づいています。古典的なリアリズムと文明的アプローチの唯一の違いは、国民国家を扱うのではなく、文明を扱う点にあります。

文明は、新しい政治的統合の形態として表現されます。例えば、我々の考えるユーラシア統合、イスラム社会におけるイスラム統合、ヨーロッパやアフリカの統合がそれに該当します。私たちは、「文明」と呼ばれる大規模な領域を扱っているのです。つまり、自由や主権の主体は、もはや国民国家の中にはなく、文明の中に存在しています。衝突に関して言えば、戦争の可能性はありますが、それは体制の種類に関わらず、国際関係におけるリアリズムの基本原則です。

この多極化における新たな側面は、極の数が非常に少ないことです。国際法によって認められている国民国家は多数ありますが、現状において独立した主権を持つ一種の極を形成できる国は、ほんのわずかです。

それらの国家は、文明という共通の基盤に基づく、ある種の超国家的な統一体にまとめられる必要があります。これこそがEUの設立理由であり、EUがその基礎としているものです。そして、例えばトルコが経済的、政治的、法的な統合を目指しているにもかかわらず、EUに受け入れられていない理由もこれに関連しています。トルコは明らかにユーラシア文明という異なる文明に属しています。そして、多極化とは一般的な意味で、ある種の意味における多元性だと思います。異なる文明は、人間とは何か、時間や空間、宇宙、善、開放、閉鎖、人間性、ジェンダー、伝統、近代化についてそれぞれ独自の解釈を持っています。そして、多極的な世界秩序を構築するためには、すべての文明の代表者の声を聞く必要があります。しかし、それぞれの文明内でも、民族や伝統の間で対話が必要です。

これが文化的多極化の世界秩序における多様性と多面性の要約です。これを確立するのは非常に困難です。より先進的な文明の価値体系を他の文明に押し付ける、あるいは投影する方がはるかに簡単です。しかし、それこそが人種差別であり、現代のグローバリゼーションの最も弱い点なのです。これは真の意味でのグローバリゼーションではなく、人類の一部分が人類全体に投影されているにすぎません。西洋の価値観が、一種の運命として自己を肯定し、その価値観を(良いものであれ悪いものであれ)世界中に、地球全体に押し付けています。多極化はこれに対抗し、他の文明があらゆる物事の本質に対して独自の理解を持つ権利を守るために戦っています。例えば、テロリズム、戦争、聖性、歴史、特定の歴史的瞬間において誰が間違っていたか、誰が正しかったかということに関しても同様です。

翻訳:林田一博